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【歴代FRB議長一覧】各議長の実績や在任期間のまとめ。

この記事ではFRB(連邦準備制度)の歴代議長の説明をしています。まず始めに歴代議長の紹介です。その後、各議長の実績と在任期間の説明をしています。

第16代議長「ジェローム・パウエル」(Jerome H. Powell)

第15代議長「ジャネット・イエレン」(Janet Yellen)

第14代議長「ベン・バーナンキ」(Ben. Bernanke)

第13代議長「アラン・グリーンスパン」(Alan Greenspan)

第12代議長「ポール・ボルカー」(Paul . Volcker)

第11代議長「ウィリアム・ミラー」(William Miller)

第10代議長「アーサー・バーンズ」(Arthur. Burns)

第9代議長「ウィリアム・マチェスニー・マーティン」(William McChesney Martin)

第8代議長「トマス・B・マッカーベ」(Thomas B. McCabe)

第7代議長「マリネア・S・エクルズ」(Marriner S. Eccles)

第6代議長「ユージン・R・ブラック」(Eugene R. Black)

第5代議長「ユージン・メイヤー」(Eugene . Meyer)

第4代議長「ロイ・ヤング」(Roy . Young)

第3代議長「ダニエル・クリシンジャー」(Daniel . Crissinger)

第2代議長「ウィリアム・P・G・ハーディング」(William P. G. Harding)

第1代議長「チャールズ・S・ハムリン」(Charles S. Hamlin)


次に各議長のおおまかな実績と在任期間、指名大統領の説明です。クリックでその議長欄に飛びます。

第16代議長「ジェローム・パウエル」(Jerome H. Powell)

【在任期間】2018年2月5日〜


【指名した大統領】ドナルド・トランプ


【実績】現在のFRB議長。イエレン議長のときから続いていた、緩やかな金利の引き上げをやめ、経済を支援するため金利を引き下げた。2020年にはコロナウイルスが猛威を奮い、経済が急激に萎む中で、経済を支援するため緊急利下げを行った。政策金利は1.75%から0.25%に大幅に引き下げられ、その後、株価と経済は回復した。


しかしコロナ禍における、政府による手厚い財政支援やFRBによる金融緩和策で、人々の貯蓄率が上昇し需要が急増したこと、ウクライナ戦争の勃発でエネルギー高が進んだこと、コロナ禍における人手不足からくる供給不足が重なり、歴史的な高インフレが進行。現在、パウエル議長率いるFRBはインフレの撲滅に力を入れている。


第15代議長「ジャネット・イエレン」(Janet Yellen)

【在任期間】2014年2月1日〜2018年2月3日


【指名した大統領】バラク・オバマ


【実績】前任のバーナンキ議長の路線を踏襲した。その路線とは「金融緩和の継続」である。そもそもイエレン氏はバーナンキ議長のFRB時代から、副議長を務めており、バーナンキ路線の支持者だった。実際には、イエレン議長時代に政策金利の引き上げを行ったが、そのペースは非常に遅いものであった。また金融緩和により膨らんだFRBのバランスシートの縮小にも積極的に動かず、金融緩和路線を継続した。


イエレン議長はいわゆる「ハト派」であり、インフレより失業率の低下を重視した。イエレン議長の金融緩和路線は、経済を活性化させたとして評価されている。


第14代議長「ベン・バーナンキ」(Ben. Bernanke)

【在任期間】2006年2月1日〜2014年1月31日


【指名した大統領】ジョージ・W・ブッシュ


【実績】在任期間中に金融危機(リーマンショック)が発生。100年に一度と言われる危機に対応した。歴史的な政策金利の引き下げ、買い入れプログラムなど総動員し、100年に一度と言われるほどの危機から、経済をうまく立て直したとされ評価は高い。一方でサブプライムローンや不適切な融資が横行した末に発生した、未曾有の金融危機を防げなかった点には疑問が残る。


第13代議長「アラン・グリーンスパン」(Alan Greenspan)

【在任期間】1987年8月11日〜2006年1月31日


【指名した大統領】ロナルド・レーガン


【実績】「マエストロ」と賞賛されたFRB議長。在任期間中は大きな危機もなく、退任時に大きな賛辞を送られた。また講演で発した「根拠なき熱狂」という言葉は有名(当時、株式市場が理由もなく上がり続けた)。しかし退任後に金融危機が発生。グリーンスパン議長の在任期に危機の種をまき、また金融機関による過剰な融資を止めなかったことで、金融危機発生後に賞賛は批判に変わった。グリーンスパン自身も責任を認めている。グリーンスパン時代に大きな危機が起きなかったのは、前任のボルカー議長の功績が大きいという説もある。


第12代議長「ポール・ボルカー」(Paul . Volcker)

【在任期間】1979年8月6日〜1987年8月11日


【指名した大統領】ジミー・カーター


【実績】米国最大のインフレ(消費者物価指数)を止めた伝説のFRBの議長。14%にまで上昇したインフレに対し、政策金利を20%にまで上げ対処した。20%にまで政策金利を上昇させた結果、景気は悪化し失業率は上昇。それでもインフレを退治するために政策金利を下げなかった。政策金利を下げたのはインフレが十分に下がったと思われてから。


ボルカー議長のインフレ退治により、アメリカが1970年から経験していた超インフレは終わりを迎えた。その後、アメリカが2021年まで高インフレに悩まされなかったのはボルカー議長の功績といえる。株式は1980年代から上昇を続けた。


ボルカー議長は政策金利を高く上げ過ぎたことで政治家から嫌われたが、周囲の批判をものともせずに自分の意志を貫きインフレを退治した。FRB議長退任後もボルカーへの信頼から、公的機関の改革や不祥事が起きた組織の調査などで活躍した。


※ボルカーの実績に関しては別記事にも書いています。

masahiro-us-stock.hatenablog.com


第11代議長「ウィリアム・ミラー」(William Miller)

【在任期間】1978年3月8日〜1979年8月6日


【指名した大統領】ジミー・カーター


【実績】 ミラーは在任期間が短いこともあり実績に乏しい。前任のバーンズ議長と同じようにインフレを止められなかったこともあり評価は低い。しかし政策金利を段階的に引き上げるなど、バーンズ議長と違い、インフレを退治する姿勢は見せ、一概に批判されるだけの存在ではない。ただし在任期間が短いこと、相当に高くなった当時のインフレに段階的な金利引き上げでは対処できなかったことなどから、やはり積極的に評価する声は少ない。


第10代議長「アーサー・バーンズ」(Arthur. Burns)

【在任期間】1970年2月1日〜1978年8月6日


【指名した大統領】リチャード・ニクソン


【実績】FRB議長の中で一番評価が低いとされる人物。1970〜1980年代に米国は非常に高いインフレに悩まされることになるが、バーンズがインフレ退治に失敗したからだと言われている。その後ボルカー議長が、政策金利を20%程度まで引き上げなければならなくなったのも、バーンズがインフレを積極的に退治せずに、インフレを制御できなくなるほど大きくしたのが原因。


バーンズ時代にインフレは進行していたが、彼は大統領のご機嫌を取るために政策金利を低いままに据え置いた(米国大統領にとって政策金利が低ければ経済が活性化され選挙に有利になるため)。挙句の果てには、消費者物価指数の経済データからインフレが進んでいる項目を削除するなど、見かけ上はインフレが進んでいないように見せるなどの小細工も弄した。


第9代議長「ウィリアム・マチェスニー・マーティン」(William McChesney Martin)

【在任期間】1951年4月2日〜1970年1月31日


【指名した大統領】ハリー・トルーマン

 
【実績】FRB議長の中で一番在任期間の長い人物。FRBが政府や財務省から独立を果たす歴史的な出来事「アコード」後のFRB議長。彼は金融引締め路線を取ることが多かった。マーティン議長は節制や倹約を美徳と考えていて、財政政策に関しては慎重路線だった。


朝鮮戦争後のアメリカ経済は良い悪いどちらともつかない状況だったが、1955年10月25日のFOMCではインフレ抑制を目指し、抑制策を方針に掲げた。当時のアイゼンハワー大統領も財政慎重路線だった。1957年にはリセッションに陥ったが、この財政慎重路線が1950~1960年代の好況の主な支えとなったと言われている。


彼の引き締め路線は、金融緩和を望む政治家には嫌われるものだった。特に第36代大統領のジョンソンとの対立は有名。ジョンソン大統領の自宅に呼ばれ、壁に押し付けられる暴力を受けたとも噂されるほどだった。


今も聞かれる「FRBの役割とは、パーティーが本当に盛り上がっているときにパンチボウルを取り除くこと」という言葉は、彼が1955年10月19日に銀行関係者との会合で発した言葉。


第8代議長「トマス・B・マッカーベ」(Thomas B. McCabe)

【在任期間】1948年4月15日〜1951年3月31日


【指名した大統領】ハリー・トルーマン


【実績】FRBが政府や財務省から独立を果たした「アコード」をまとめたFRB議長。それまでのFRBは建前上は独立していたとはいえ、戦争時には政府から国債の買付けを依頼されるなど、実際は独立した存在とはいえなかった。


しかし第7代議長のエクルズやマッカーべは財務省の下部組織になることを恐れ、FRBの独立を本当のものにするために行動した。そして1951年3月3日に財務省とFRBとの間で同意書が交わされた。この同意が「アコード」と呼ばれている。


アコード実現後の3月31日自分の役割を果たしたマッカーべは議長を辞任し、民間部門に戻った。


第7代議長「マリネア・S・エクルズ」(Marriner S. Eccles)

【在任期間】1934年11月15日〜1948年1月31日


【指名した大統領】フランクリン・ルーズベルト


【実績】FRB史上最長の任期期間だった議長。彼は今に続くFRBに多大な影響を与えている。FRBを政府から独立した組織にしたのはエクルズの功績。彼のFRBへの功績の大きさは、ワシントンにある連邦準備制度理事会のビルに、彼の名前がつけられていることでも分かる(エクルズビル)。

エクルズの実績は多岐にわたり、大恐慌を克服したことや、第二次世界大戦の際も巧みな手腕を発揮した。逆風がある中でもエクルズは自分の意見を曲げず、不況期には財政出動、金融緩和を行い、インフレが起きると縮小を訴えた。

その中でも彼の功績で際立っているのは、FRBが本当の意味で独立を果たした議長退任後の1951年の出来事「アコード」がある。彼の議長在任期間のFRBは、政府や財務省から独立しているとはいえず、その意見を無視することはできなかった。現に彼自身は1948年に対立していたトルーマン大統領に解任されている。

政府や財務省との関係は良好ではなかったが、議長退任後、理事職にとどまり、FRBの真の独立を勝ち取るため、FRBと財務省との間に協定「アコード」(政府がFRBに口出ししない約束)を結んだ。

今では経済や金融政策を正しく理解していた人物として知られている。


第6代議長「ユージン・R・ブラック」(Eugene R. Black)

【在任期間】1933年5月19日〜1934年8月15日


【指名した大統領】フランクリン・ルーズベルト


【実績】在任期間は短いが、大恐慌に際し有効な政策を支持した。前任のユージン・メイヤーはFRB議長として有効な手段を取ることができなかったが、ブラックはFRBが「最後の貸し手」として機能するように、また市場に対し資金を供給した。

第5代議長「ユージン・メイヤー」(Eugene . Meyer)

【在任期間】1930年9月16日〜1933年5月10日


【指名した大統領】ハーバート・フーヴァー


【実績】世界恐慌に際し、有効な手を打てなかった議長として評価されている。恐慌に対し、金融刺激策を打てば当時の経済崩壊は緩和されていたと批判されている。ノーベル経済学賞受賞のミルトン・フリードマンもFRB議長としての役割を果たすことができなかったと論じている。

ユージン・メイヤーはFRB議長としてではなく、当時破産したワシントン・ポストの買収と復活の立役者として有名。その後、娘婿、孫娘がワシントン・ポストの経営者となる。孫娘のキャサリン・グラハムはウォーレン・バフェットと親しかったことでも有名。


第4代議長「ロイ・ヤング」(Roy . Young)

【在任期間】1927年10月4日〜1930年8月31日


【指名した大統領】カルビン・クーリッジ


【実績】1929年に始まった株価の大暴落と世界恐慌の初期に、FRB総裁を務めた人物。そのときの行動はかなりお粗末だったといわれている。バブルが崩壊してもFRBは傍観者であり続け、ニューヨーク連銀との対立により事態をより悪化させた。ニューヨーク連銀はバブル崩壊後に市場に資金を提供したが、ロイ・ヤング率いるFRBは、「FRBの承認なしにそのようなことをしてはならない」と権力争いを繰り広げる。その結果、効果的な手が打てないまま事態は悪化の一途を辿った。

その後が興味深いが、彼はボストン連銀総裁の地位を1930〜1942年まで務めている。


第3代議長「ダニエル・クリシンジャー」(Daniel . Crissinger)

【在任期間】1923年5月1日〜1927年9月15日


【指名した大統領】ウォレン・ハーディング


【実績】


第2代議長「ウィリアム・P・G・ハーディング」(William P. G. Harding)

【在任期間】1916年8月10日〜1922年8月9日


【指名した大統領】ウッドロウ・ウィルソン


【実績】


第1代議長「チャールズ・S・ハムリン」(Charles S. Hamlin)

【在任期間】1914年8月10日〜1916年8月10日


【指名した大統領】ウッドロウ・ウィルソンン


【実績】



参考サイト・本

Home | Federal Reserve History(日本語訳「連邦準備制度の歴史」)

Wikipedia, the free encyclopedia(wlkipediaの各種ページ)

レナード・サントウ「FRB議長」

ポール・ボルカー「ボルカー回顧録」